カテゴリー別アーカイブ: イントラblog

「ヨガをしてる」時とは

今月のブログを担当しますチカです。

クラスの始まりはマントラから始めますが、
師から学んだいくつかのマントラのうち、
私はよくマハリシ パタンジャリに捧げるマントラから始めることが多いです。

Yogena cittasya padena vacam
Malam sarirasya ca vaidhyakena
Yopakarottam pravaram muninam
Patanjalim pranjaliranato ashmi
om shanti shanti shantih
賢人の中の賢人であるパタンジャリに手を合わせて敬礼します
身体の疾患をアーユルヴェーダで、会話の間違いを文法で、そして、
マインドの不純物をヨガで取り除いてくれる賢人に敬意を表します
マハリシ、ただのリシ【賢人】ではなく、マハ【偉大な】と形容されるパタンジャリさん。彼については生きていた年代も、ひとりであるとか複数人いるとか諸説あるそうで非常にミステリアスなんですが、このマントラにあるように、ヨガ、アーユルヴェーダ、サンスクリット語の大家であったことは間違いないのです。
さて、改めてこの日本語訳をよーく読んでみましょう。
身体⇒アーユルヴェーダ
マインド⇒ヨガ
って書いてる!!!
ヨガってマットの上で身体に気付きをもつものじゃないの?!…って思いません?
また、ちょっとハタヨガに関してお勉強なさってる方だったら、マハリシ パタンジャリってヨーガスートラ編纂した人でしょ、ヨーガスートラってハタヨガの教え(八支則)が含まれてるでしょ、つーかそもそもハタヨガって身体使うヨガのことじゃないの?!…って混乱しません?
これ、全部私のかつての混乱♪
ヨガにどんな種類があるのかを勉強(流派としてではなく、潮流として、です)すると知ることが出来るのですが、どの種類でも目指す方向は同じで、その最終目的への辿り着く方法が違うだけなんですね。
例えばご存知マハトマ ガンジーは沢山の人に奉仕したマットの上に立たないヨギ(カルマヨガ)ですし、
マットの上ではなく机上で教本を読み込み今世を考えるヨギ(ニャーナヨガ)もいますし、
一心不乱に魂の成長を神に祈るヨギ(バクティヨガ)もいます。
マットの上で練習する事がヨガだと思ってたら、そうではないんです。
ハタヨガはざっくり言うと、自らの肉体をマインドの制御下に置く事で、心の動きを制する、というメソッドです。
思うように動かない身体にマインドから命令を出し続けるという鍛錬を積み、
身体的、内面的、感情的、知的、社会的、精神的にポジティブな状態にしていくって事ですね♪
魂は輪廻転生している、のがヨガの前提です。
輪廻転生しながら魂は成長を続け、成長を遂げた段階で人間界を卒業するのでしょう。(ハタヨガの教えではサマディと言い、仏教では涅槃とか解脱とか悟りとか言いますよね)
今世の魂の入れ物であるこの身体。
健全なる魂は 健全なる肉体に宿る!とマハリシ パタンジャリさんが言ったかどうかは置いておいて…。
魂の成長にはクリアな思考(マインド)が必要で、その為には肉体も健全にね!というように、身体のことってヨガに於いては目的、ではなくどちらかというと入り口に近い位置にあるんですね。
どの潮流に於いても、ヨガの取り扱い分野はマインドで、ハタヨガに至ってはそのマインドとのコミュニケーションツールとして肉体がある、という位置付けです。
ってなると、マット上で練習してる時だけが、”ヨガをしてる” んじゃ無いんですね☆
日常でヨガ的思考を保つ為に、マットの上に立つ、という認識です。
とはいえ、ハタヨガのアサナの練習には身体を健やかに保つヒントが沢山!よくもまぁ5000年も前にからこの智慧が体系化されてたなぁと舌を巻くことしばしばです。
マハリシ パタンジャリさんの教えに感謝をしつつ…クラスでお待ちしてますね♡

続けること・やめること

こんにちは。
今月のblog担当のちえみです。
突然ですが、みなさんは1つのことを継続することは得意ですか?
わたしは苦手です(笑)
ヨガ継続しますよねと声が聞こえて来そうですが。。。ヨガは継続しています。
スタイルは変化しています。
日々やっていること、興味を持つこと、必要だなと感じることは違います。
アサナをとるにしても、流れがあるものから、静止が長いもの。
瞑想も呼吸法も長さや行うものもバラバラ。
マントラやキルタン音に関すること。
チャクラなどのエネルギーのこと。
アーユルヴェーダ。
身体、心、魂のこと。
などなど。
ヨガとひと括りにしても、いろいろな方向性のあります。
1つの流派を継続することも、とてもステキなことです。
探求が導いてくれるパワーもあります。
以前、1つの流派を続けられないことで悩んだことがありました。
呼吸は浅く
身体は固くなり
頭の中はいつも思考で大騒ぎ
ヨガをしていても、心地よさや満たさた感覚がない状態でした。
ヨガは向いてないのかなと、そこから離れようと思った矢先、ヨガ仲間から誘われてキルタンへ参加。
キルタンとはサンスクリット語で「歌う」という意味を表し、マントラを音やメロディに合わせチャンティング(詠唱)していきます。「歌うヨガ」とも言われています。
もともと、歌や音にはものすごい興味があったので、初めはドキドキしましたが、音やマントラの響きを味わい、委ね、とにかく無心でやっていて楽しい時間でした。
マントラの発音は、とっても難しいですが自分の中で興味がある「音」というワード、そしてマントラの響きで扉が開き、気持ちがとても楽になったのを覚えています。
帰り道、気持ちがとても楽になり、心地よさに浸っていたところ、ふと気づいたんです。
形にこだわり、自分の今どう感じるかという感覚を後回しにしていたこと。
そして
これもヨガなんだと教えて頂きました。
何をしても、どんなスタイルでも、自分を楽しみ探求する作業には変わりはないのかなと思います。
いく場所は1つだとしても、行き方は沢山あります。
行き方は選べます。
ヨガ止めようかなぁと思ってもいいと思います。
ただ
ヨガってたくさんの流派、方向性があるということ。
止めても身体や心は記憶として残っているということ。
いつからでもできます。
そして
続けれなかったこと出来なかったことに対して、罪悪感や劣等感はもたないでくださいね。
ということを、どこか片隅に置いて頂けると幸いです。
楽しいステキな日々を☆

The Practice

今月のブログを担当します、たかこです。

私は今【The Practice】という3ヵ月連続のトレーニングの受講中です。

【Practice】を直訳すれば“練習”“修練”という意味だとわかりますね。

何を練習するかといえば、それはヨガの練習に間違いないので、さぞかし肉体的な練習をするのかと思われる方も多いでしょう。

もちろんマットの上での肉体的練習の課題もありますが、それだけではない“練習”を

日々行っています。

まず、食するものにいくつかの制約を以って3ヵ月を過ごすことです。

私たちは日々、好きなものを食べたり飲んだりしています。(中にはあまり好きではないけど健康に良いからと言って食するものもありますね。)

そう、私たちは常に好き、嫌いを基準で選択しています。

いくつかの制約はその好き、嫌いで判断することをやめ、受け入れるという行為の実践になります。また、だれも見ていないので制約を破ってしまうこともできますが、決めたことをやり抜く意志を持つことの修練でもあります。

先日は参加者全員(49名)が同時刻に太陽礼拝を108回行うという課題を終えました。

その課題が出された時、何人かは仕事や家庭などの事情で何曜日はだめ、この時間はだめと手をあげます。このままでは何も決まらない、と思えましたが

そこで“数名の都合に40名以上が合わせるのか、40名に数名が合わせるのか、どっちだ”

との問いかけをもらい、はたと気づくわけです。

ヨガのアシュタンガヨガ(八支則)の最初になぜ“ヤマ”があるのかということ。

自分個人の前に社会があり、そこに属すること、その調和を整えること。

文明の利器を携えオンラインでつながり、実際に太陽礼拝を108回行いました。

途中様々なマインドに揺さぶられながらも、同じように各地で行う仲間がいることが

やり遂げる原動力になったことがまさに“ヤマ”の実践、体験でした。

 

Yoga is experience

 

ヨガとは経験すること

 

この3ヵ月はまさに体験することです。

決してやらされているのではなく楽しみながら。

 

初めてのインド

今月のブログを担当します、えみです。

ちょっと前になりますが、今年の2月に初めてインドに行ってきました。

今回はその紹介をさせて頂きます。

私はヴェーダーンタを学んでいるのですが、私の先生(スワミ・チェーターナーナンダ:日本人の先生です)がインドで講座を行うので、「こういう機会に行くしかない!」と思い、初めてのインド、楽しんできました。

滞在したのは、リシケシのスワミ・ダヤーナンダ・アーシュラムです。

リシケシは、デリーより北、ガンジス川沿いにある街です。シヴァナンダヨガ、ヨガニケタンなど、日本でも知られているヨーガのアーシュラムがあるので、ご存じの方も多いと思います。

先生の先生(スワミ・ダヤーナンダ・サラスワティ)のアーシュラムで、先生もここで勉強されていたそうです。

アーシュラムは、ヴェーダーンタを学ぶための施設で、中には学校、テンプル、食堂、宿泊施設などが揃っています。先生やここで働く皆さんは、ここで生活しています。

初めてのインドでまず驚いたのが、街が賑やかさです。道路を走る車やバイクは必ずクラクションを鳴らしているので、とっても騒々しく、人々エネルギッシュで圧倒されました。排気ガスと土埃もすごくて。

空港からアーシュラムに向かう車の中で、「インドでやっていけるんだろうか」と不安に思っていましたが、アーシュラムのこの門の中に入ると、別世界に来たように感じました。静かで平和、空気が全然違います。ほっとして、ここなら大丈夫だと思いました。

 

 

 

 

アーシュラムの門

門をくぐって歩いていくと、右に食堂と教室、

左はアパートメントと図書館、アーサナルームがあり、

 

 

 

 

 

 

さらに先には、

 

 

 

 

 

 

左手にテンプル、右はスワミ・ダヤーナンダジが眠られているところ。

その先の門を出ると、すぐ下にガンジス川が流れています。

沐浴もしました。

 

 

 

 

 

 

ごはんはこういう感じです。美味しかったですよ。

 

 

 

 

 

今リシケシは、たくさんのアーシュラムがありますが(約2000あるとか)、

スワミ・ダヤーナンダジがここでアーシュラムを始めた当時は4箇所しかなかったそうです。

このようなところで、10日間滞在して、バガヴァッドギーターを学びました。

日本でも同じように勉強できますが、実際にインドに来てみてわかることもあります。

ヨガは生き方であって、教えられていること、伝えられていることは、インドの生活、文化、習慣、世界観などと一体になっています。この土地に、文化に身を置いて見えてくることもあって、とても勉強になりました。

正直、まだ街の喧騒には慣れないし、お店で買い物するにも値段を交渉したりするのが大変だな〜、とか思ってしまって、すごくインドにハマった訳ではないんですが、インドにしかないものやないことがたくさんあって、独特な魅力があります。今度は南インドにも行ってみたいです。

またインドに行くご縁がありますようにと願っています。