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「安楽座」で座ること

今月のブログを担当します、えみです。よろしくお願いします。

過去に書いたブログを読んでいたら、ヴェーダーンタのことばかり書いていました。今回もそのお話です。

あなたがヨーガを始めたきっかけは何でしたか?
(サンスクリット語では、Oは長母音なので、ここではヨガではなくヨーガと書きますのでご了承下さい。)

健康
リラックス
マインドのリセット
ヨーガの教えを生活に取り入れたい

などなど、いろいろあると思います。

私の場合は、体の健康ために始めましたが、終わった後、何ものにも代えられない満足感があって、それが忘れられませんでした。
体とマインドがリラックスして、気分や感情、考えを落ち着かせてくれる効果を感じました。それからは、ヨーガなしではありえないと思うようになって今に至ります。

そんな私ですが、ヴェーダーンタの勉強を始めて、ヨーガの目的が変化しました。特に、アーサナ(ざっくりとした説明ですが、体を使う技法、呼吸法やポーズ)の目的に、大きなものが一つ加わりました。

それは何かと言うと、

長い時間、楽に座ることができる体にする

ということです。

ヴェーダーンタの勉強は、先生のお話を聞くことから始まります。
1クラス90分、合宿になると、1日3~4クラスを一週間以上行います。

長い時間、座り続けるのって、結構大変なんです。
始めはいいのですが、続けると自分の体の弱いところが出てきます。

最初に参加した合宿の最後はこんな感じになりました。

脚が痛い、痺れる
股関節に違和感を感じる、痛い
腰や肩が固くガチガチになる、ひどいと腰痛
ヒップの筋肉が硬くなって、痛い
膝が痛い、違和感を感じる

かなりたくさん出てきましたね。ひどいです。。。
これら全てを経験して、自分の体って、全然座れないんだと知りました。

先生のお話を聞いている最中に、脚を組み替えたり、体勢を変えると、一旦集中が切れます。
その前に、「身体が痛いな、脚崩そうかな。」と思っている時点で、集中力が落ちていますよね。
なんてもったいない、非効率だと思います。
長い間座ったままなんて、信じられないと思われるかもしれませんが、同じ生徒仲間の中でも、じっと動かず集中している方もいるんですよ。そして先生が脚を組み替えたり、体勢を変えるのを一度も見たことがありません。
私も、長い時間、楽に座れる体にして、集中して先生のお話を聞きたいと思うようになりました。

ある先生は、
「アーサナの練習は、瞑想で座ることができる体にするために行う」と
仰っていましたが、安楽座って、こういうことなんだと身をもってわかりました。

最近瞑想を始める方が増えているそうですが、まず胡座で座れない、何十分も座っていられない、という方が多いと聞きます。
そういう方は、アーサナの練習で、座る体を作ることをおすすめします。
体の準備はとても大切ですね。

えみ

新しいこと

暦はもうすでに春ですが、まだまだ寒い日が続きそうですね。
体調など崩されていませんか?

こんにちは
今月のイントラブログを担当しますayumiです。

去年末から日曜のクラスをお休みさせて頂いて、ヨガのトレーニングを受けています。

トレーニングの内容は哲学の時間がとても多く、毎回本当に興味深くでも時々眠気と戦いながら授業を受けています。
その中でサンスクリット語の時間もあり、ただいま練習中です。

こどもの頃に覚えた、ひらがな、カタカナ、漢字、そしてアルファベット、、、
当時は脳がスポンジのようにぐんぐんとなんでも吸収していたのでしょう。
覚えるのに苦労をした感覚が全くないですよね。
昔過ぎて、ただ忘れてしまっているだけかもしれませんが。

それから長い月日が経ち、身体も脳みそもすっかり大人になったわたしは、
ほとんど全部似てるように見えるサンスクリットを覚えられる気が全くしなく、
完全にあきらめモードで授業を受けていました。

一通りの説明を聞き、まるで小学生の時のようにノートに発音を声に出しながら書き取りの練習をしました。
そして、毎回数ページ書き取りの宿題が出されます。
もう言われた通りやるしかないという気持ちで、家でも声に出しながら宿題をやっていたのですが、
3週目あたりからだんだんとですがスムーズに書けるようになってきました。

脳が活発に働いている感覚!
新しいことを覚えてそれを使えるようになる快感!!

本当に久しぶりのこの感覚
楽しくて、そしてとても気持ちがいいんです!!

きっと、こどもの頃はこの感覚で毎日溢れていたのでしょうね。
でも、すっかり大人になったわたしもこの感覚は十分に味わえました。

みなさんも何か新しいことを始めて、この快感を味わって思い出してみてください。
もうすぐ春ですし、新しい事を始めるにはとってもいいタイミングですよ!

ほんとうに、ほんとうにとても気持ちがいいですから!!

サンスクリットを覚えたてでどんどん書いて覚えたいと思っているので
よろしければみなさんのお名前など喜んで書きますので、興味のある方はクラスの時にでもお声掛けください☆

ayumi

ヨガとアーユルヴェーダの関係性

2018年最初のイントラブログを担当しますチコです。

これまでアーユルヴェーダのドーシャのお話やスパイスのお話などを書いてきました(興味のある方はタグをクリックしてみてくださいね)。今回はヨガとアーユルヴェーダはどんな関係性なのか、ということを考えてみたいと思います。

ヨガとアーユルヴェーダは切っても切り離せない関係だと聞いてきたのですが、その割にヨガの練習生でもアーユルヴェーダを実践していなかったり、アーユルヴェーダに詳しくてもヨガの練習は日常的でない人も多いと思います。ヨガを補完するのがアーユルヴェーダなのか、アーユルヴェーダを補完するのがヨガなのか、さてどういうことなのでしょうか。

個人的な考えでは、1日を過ごすに当たってヨガもアーユルヴェーダも同じくらい必要不可欠で重要です。どちらも起床は夜明け前の精妙な時間帯を勧めます。起きてからすべき行為は体の中から荒い毒素を出す排泄を済ませ、睡眠後の汚れて混雑していない体の管に白湯やレメディーなどの必要なものを通し、ヨガの練習やオイルマッサージなどのトリートメントを行って1日を始めます。仕事や家事をしていてもどういうマインドであるべきかはヨガのオフザマットの練習ですし、空腹になればドーシャを乱さない食べるべき食事の内容をアーユルヴェーダが教えてくれます。

人生という長い目で見ても山もあり谷もあり、嬉しいこと悲しいことショックなこと困難なことが押し寄せてきます。ここでも起こった事象に対して反応するのではなく対応し受け止められるかはヨガの教えが役立ちますし、病気が発生しても精神的に乱れても原因となるドーシャの整え方はアーユルヴェーダが教えてくれます。現代の医療では病気になるとその痛みをなくすために投薬はしてくれますが、その痛みの原因は重要視されていません。しかしアーユルヴェーダでは原因も説明がつき、その解決法まで説かれています。例えば腰痛ですが、その解決法にはヨガとしてのアプローチもありますし、アーユルヴェーダとしてのアプローチもあります。どちらにも原因の説明と解決法が備わっていて、それが科学も未発達の数千年前から知恵として伝わってきているのです。

もう一つ、ヨガとアーユルヴェーダの共通点は「自分探し」です。ヨガでは「who am I?」自分とは何だろうという疑問を探る旅だと言えます。アーユルヴェーダでは自分の特質やドーシャを探っていく旅だと言えます。どちらも同じ頂上を目指しながらもそのルートが少し異なっているだけかもしれません。

ヨガは奇天烈なポーズをとったり柔軟性を競うものではないです。

アーユルヴェーダはオイルを垂らすだけの美容法ではないです。

情報過多なこの時代だからこそ、印象に振り回されずに脈々と受け継がれている知恵を生かして本質に触れて生活していきたいものです。

諸行無常

こんにちは。
今回のイントラブログを担当しますSakkoです。

「諸行無常(しょぎょうむじょう)」

意味:この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、
一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。

「諸行」は、この世の一切の事物と現象を指し(有為法)「無常」とは、
一切は常に変化し、不変のものはないという意味。
宋代の仏教書『景徳伝灯録』によれば、釈迦牟尼仏が入滅に際し、
沙羅双樹の木の下で説いた言葉と伝えられる。三法印、四法印のひとつ。…wikipediaより

仏教用語として有名な言葉ですが、この考え方は、釈尊以前からあると言われています。
インドの宗教(バラモン教)においても、諸行無常というのが説かれていたそうです。

例えば、ガラスのコップは、普通に使えばコップとして機能します。
しかし、誤って割ってしまったらコップとしての機能は果たしません。

人の感情も同様です。

自分の感情、行動、は常に変化し
他人の感情、行動も常に変化し続けています。

朝起ききて、天気が良く心地よく幸せな気分なのに、起きてきたパートナーがぼそぼそグダグダしていたら、どうですか?
子供がなかなか起きてこないと、だんだんとイライラしたりしますよね。

人の関係は、「因縁」と言い、「因」と「縁」によるもので、その因や縁が変われば必然的に滅し、また生じます。
この世は常に移ろい行き、すべての存在が繋がり、支えあっているからと考えます。
私たちは、この世に生き、常にだれかと接点を持っています。
パートナー、お子さん、友達、会社の上司、同僚、ご近所さんなどなど、「常に誰か」を感じながら生きています。

その中で、「変わることが当たり前、変わらないものはない」という事を常に心に、頭においていると
自分を、相手を、受け入れる事ができるようになります。

これは、一見「あきらめ」と似た行為かもれません。

でも、世の中はただ「諸行無常」だという事を繰り返し感じていると、いい意味での「しょうがない」がやってきます。
そして、その行為は、自然と自分を許し、認め、他人をも、許し、認める行為となります。

しかし、言うのは簡単です。すぐには、絶対できません!

一瞬一瞬をできるだけ細かく意識します。
「流れの中で生きる」ことを極力やめてみます。

私はこの練習を日々できるように努力しているのは、瞑想の練習をし始めてからだと感じています。
忙しくても、面倒でも、少し目を閉じ、座る、自分の呼吸に意識を向けることで、日常での様々な捉え方が変わっていきました。

ヨガ(アサナ)を実践しても、ヨガをしていると、とは言えるでしょう。
ただ、「動かない」ことをしてみると、様々な「気づき」と出会いました。
日常生活で少しずつでも、自分の感情や体の変化に「気づき」が生まれると、より穏やかな日常が向こうからやって来るような気が来ます

新しい年を迎えるこの時期、忙しく感じるこの時期に、何となく皆様とシェアしたい、内容でした。
皆様も、「諸行無常」を少し意識して、素敵な年末年始をお過ごしください。