タグ別アーカイブ: ヴェーダーンタ

苦手なこと

今回のブログを担当します、えみです。宜しくお願いします。

私は物事をやり始めるまで時間がかかるタイプです。どんどんやっていくタイプの方を見て、「フットワークが軽くていいなー」と思います。更にそれが、自分が苦手なことだと、徹底的に避けたくなります。そんな私ですが、昨年、苦手なことを始めました。

それは、「サンスクリット語」の勉強です。

サンスクリット語の文字をデーヴァナーガリー文字というのですが、この文字の読み書きは始めていました。デーヴァナーガリー文字をすらすら読めて、チャンティングができたらいいな、と憧れていたんです。

文字を学ぶなんて、英語のアルファベットを学んだ以来なので、かなり新鮮でした。少しずつ覚えて慣れて、馴染んでくると読めるようになるものですね。

まるで暗号を解くように面白くなってきました。読み書きができるようになって満足していたのですが、いよいよ文法を勉強することになりました。

英語を始め、語学が苦手な私が、文法を学ぶなんてとんでもないと思っていました。英語でさえ苦手なのに、なぜサンスクリット語?ですよね。できる限り避けてきたのですが、ヴェーダーンタを学ぶためには必要だとあらためて思ったので、ゆっくりでいいから、焦らずに学んでいこうと決意しました。サンスクリット語の「サンスクリット」という言葉は、「正しく成された」という意味があります。学んでみて少しずつわかってきたのですが、サンスクリット語はシステマティックな文法体系で、文法という正しい法則にそって理解していくと、頭が整理される感じなんです。文法を学ぶことで、論理的な思考法を身につける訓練をしているようです。

ヴェーダーンタは先生から言葉を通して学ぶものです。何かを教えてもらって理解する、ということは、論理的に説明されたことを、受け手である私が、ちゃんと論理に沿って考えることができないと、正しく理解することはできませんよね。私は今までそのようなことをあまり考えていなくて、「なんとなく、こんな感じ」と、漠然と、曖昧に物事を捉えていたことがなんと多いことかと気が付きました。他にもいろいろ理由はあるのですが、そんなことからも、ヴェーダーンタを学ぶためにはサンスクリット語を学んだ方がいいというのはそういうことだとわかりました。

ちなみにサンスクリット語は、日常使われている言葉ではありません。日常使う言葉は目まぐるしく変化しますが、使われていない言葉だから、変わらず伝えられてきたのだと思います。神が伝えたという言葉や、何百年前の聖人が残した言葉をそのまま読めるなんて、ワクワクします。(文章を理解するには、もっと自分の勉強と先生の解説が必要ですが)

そんなこんなで、苦手だと思っていた言葉の勉強にチャレンジしてみたら、意外と面白かったし、楽しいことがみつかりました!

自分が苦手だと思っていることって、私の過去の経験から作り上げた結論なだけで、本当は違うことってたくさんありそうですね。「苦手だから」と身構えたり、避けたりせずに、仲良くなれたらいいですね。

初めてのインド

今月のブログを担当します、えみです。

ちょっと前になりますが、今年の2月に初めてインドに行ってきました。

今回はその紹介をさせて頂きます。

私はヴェーダーンタを学んでいるのですが、私の先生(スワミ・チェーターナーナンダ:日本人の先生です)がインドで講座を行うので、「こういう機会に行くしかない!」と思い、初めてのインド、楽しんできました。

滞在したのは、リシケシのスワミ・ダヤーナンダ・アーシュラムです。

リシケシは、デリーより北、ガンジス川沿いにある街です。シヴァナンダヨガ、ヨガニケタンなど、日本でも知られているヨーガのアーシュラムがあるので、ご存じの方も多いと思います。

先生の先生(スワミ・ダヤーナンダ・サラスワティ)のアーシュラムで、先生もここで勉強されていたそうです。

アーシュラムは、ヴェーダーンタを学ぶための施設で、中には学校、テンプル、食堂、宿泊施設などが揃っています。先生やここで働く皆さんは、ここで生活しています。

初めてのインドでまず驚いたのが、街が賑やかさです。道路を走る車やバイクは必ずクラクションを鳴らしているので、とっても騒々しく、人々エネルギッシュで圧倒されました。排気ガスと土埃もすごくて。

空港からアーシュラムに向かう車の中で、「インドでやっていけるんだろうか」と不安に思っていましたが、アーシュラムのこの門の中に入ると、別世界に来たように感じました。静かで平和、空気が全然違います。ほっとして、ここなら大丈夫だと思いました。

 

 

 

 

アーシュラムの門

門をくぐって歩いていくと、右に食堂と教室、

左はアパートメントと図書館、アーサナルームがあり、

 

 

 

 

 

 

さらに先には、

 

 

 

 

 

 

左手にテンプル、右はスワミ・ダヤーナンダジが眠られているところ。

その先の門を出ると、すぐ下にガンジス川が流れています。

沐浴もしました。

 

 

 

 

 

 

ごはんはこういう感じです。美味しかったですよ。

 

 

 

 

 

今リシケシは、たくさんのアーシュラムがありますが(約2000あるとか)、

スワミ・ダヤーナンダジがここでアーシュラムを始めた当時は4箇所しかなかったそうです。

このようなところで、10日間滞在して、バガヴァッドギーターを学びました。

日本でも同じように勉強できますが、実際にインドに来てみてわかることもあります。

ヨガは生き方であって、教えられていること、伝えられていることは、インドの生活、文化、習慣、世界観などと一体になっています。この土地に、文化に身を置いて見えてくることもあって、とても勉強になりました。

正直、まだ街の喧騒には慣れないし、お店で買い物するにも値段を交渉したりするのが大変だな〜、とか思ってしまって、すごくインドにハマった訳ではないんですが、インドにしかないものやないことがたくさんあって、独特な魅力があります。今度は南インドにも行ってみたいです。

またインドに行くご縁がありますようにと願っています。

間違えるということ

こんにちは。
今回のイントラブログを担当しますayumiです。

普段の生活の中で、何かを間違えたり失敗すると恥ずかしいと感じたりしますか?
笑って誤魔化したりなんてよくやってしまいますよね。

わたしは、月に2回ほどヴェーディック・チャンティングの勉強会に参加しているのですが、ヴェーディック・チャンティングでは正しい音階と正しい発音で詠唱することが重要とされています。

音階は、基準の音、基準からひとつ上がる音、ひとつ下がる音の3つの音階で詠唱します。それともうひとつ、ギターのスライド奏法のように、基準の音からひとつ上がる音までを一音の中で変えるものがあります。

3つの音階しかないのですが、正しい音階で詠唱するのがなかなが難しいんです。

そして、サンスクリット語の発音もとても難しいです。
口を大きく開けて発声することさえ、普段は全くしていなかった事に気づかされます。
更には、舌を日本語ではありえない位置にもっていくような発音があり、これも本当に難しいです。練習しているとすぐに舌の付け根が痛くなってきます。

マントラが書かれているのはアルファベットで、ローマ字のようにそのまま読めばいいのですがそのアルファベットの上下に記号で音の長さや音階が記されています。

読み慣れない文字と記号、慣れない発音、音階、音の長さなどなど、
注意しないといけないことがたくさんあり、当たり前のようにたくさん間違えます。

一番最初に書いたように、ヴェーディック・チャンティングでは正しい音階と正しい発音で詠唱することが重要とされています。

間違った音階や発音で詠うと悪いカルマが貯まるなんていう噂も聞いたことがあります。
悪いカルマが貯まるなんて、呪いのようで怖くてチャンティングの練習ができなくなってしまいますよね。

でも、わたしも一緒に練習している人たちも、たくさん間違えてできるようになるまでたくさん練習します。それはそれは本当に楽しそうに。

なぜ、悪いカルマが貯まる呪いを恐れずに楽しく練習できるのかというと、
勉強会の最後に先生があるチャンティングをしてくれるからです。

間違ったチャンティングを帳消しにしてくれるマントラがあるのです!!
(お経にも同じようなものがあるみたいです!調べたら面白そうですね。)

これのおかげで伸び伸びとたくさん間違えながら練習ができます。
間違えることで自分の苦手がみえてきたりします。

どんなことでも最初から完璧にできる人なんてきっといないはず。

日常の中で何か間違えたりしても(わざと悪い行為をしたのでなければ)
悪いカルマが貯まるわけではないし、
「間違えたら恥ずかしい」なんて呪いをかけるのではなく、
間違えた結果正しい行いができるようになっていけばいいだけです。

日常に使える帳消しのマントラがありますよね。ご存知ですか?

「ごめんなさい、間違えました。」

取り繕ったり誤魔化したりなんかせずに、
間違いを認めることで、自分自身の更なる成長に繋げていきましょう。

体の不思議

10月のブログを担当します、えみです。

「ヨガ」というと、一般的には、体を使うヨガ「ハタヨガ」と言われています。
私たちのヨガのクラスも、いろいろと流派・スタイルがありますが、「ハタヨガ」です。
今回は、その「ハタヨガ」で使っている体について、ヴェーダーンタというヨガの聖典のお話を参考にして見ていきたいと思います。
自分の体について、いつもとは違った見方ができればと思います。

ヴェーダーンタとは、インド伝統の知識の集合体であるヴェーダ(知識体)の中の最後の章です。この章には、「私とは何か?」について書かれています。(わかりやすく書くために、すごくざっくりとした説明ですが。)

「私とは何か?」って、わかっているような、わかっていないような、とらえどころがありませんが、体から、「私」を見ていきましょう。

さて、私が「私」としているのは、一体どこを指していますか?

私も含めて多くの方が、自分の体だと考えるんじゃないかと思います。

でも、私の体って、本当に「私」なんでしょうか?

私たちの体を作っている元素は、29種類あるのだそうです。
酸素、炭素、水素などの有機質が96%、残りの4%は、カルシウム、ナトリウム、マグネシウムなどの無機質だのだとか。
(学校の授業で勉強したはずですが、忘れていますよね。)
元素から細胞が作られ、細胞が人体を作っています。
人は亡くなると、「土に還る」と言いますが、人体の有機物が分解されて、土壌の一部に戻ります。
29種類の元素は、一時的に私の体を構成して、この体を保っているだけです。

ふつう私たちは、「体」のことを「私」と考えていると思いますが、
人体をつくっている元素は、「私」なのでしょうか?

そして、「私」と「私の外の世界」って、どこに境があるのでしょうか?
イメージとして、自分の体の皮膚を境界線にして、「私」と「外の世界」と分けて見ていると思います。

呼吸を考えてみると、
息を吸ったら、私の外にある空気が体の中に入ってきます。
この体の中に入った空気は、「私」なんでしょうか?
反対に、息を吐いたら、私の体の中にあった空気が出て行きます。
吐いた空気も「私」だったのでしょうか?
私の先生は、こんな話をしてくれました。
私を体だと思っているなら、私の爪も「私」です。
でも、伸びた爪を切ったら、切り落とした爪も「私」なのか、かつて「私」だったのか?

更に、私たちの腸の中には、100兆以上、数百種、重さで言うと約1キロの細菌が住んでいるそうです。
この体内に住んでいる細菌は、「私」ではないですよね。

「体が私」と思っていたら、よくよく考えると、いろいろと辻褄があわなくなります。
体を作っている元素などの物質も、実は「私」とは言い切れないし、
私の体と、外の世界との境界線も、実はあやふやなものでしかありません。
「体が私」というのは、何か違うのではないかと思いませんか?
元素が私の体を作り、保つことは、私個人の意思だけでは出来ないことです。
「体がある」ということだけで奇跡的なことで、その体を日常の心がけやヨガの練習で、大事に養っていきたいですね。

えみ